はじめに
’95年夏ごろに「NHK趣味百科 安野光雅 風景画を描く」という番組が放映されていました。たまたまこれを見たことが私にとって水彩画を始めるきっかけになりました。
小中学生の頃の授業に図画というものがありましたが、これにはなんとなく「強制されている」と言う思いがあり、絵を描くことは好きとは言えませんでした。
放映に触発されて始めた頃の絵は、それはひどいもので、描くのにも随分時間がかかりました。ただ、描いている最中は、嫌なことも忘れて集中でき、ある種のレクリエーションになることに気付きました。絵を描く楽しさがわずかに芽生えたのだと思います。
楽しくなると絵も段々とそれらしいものになり、週末をあちこちでスケッチするようになりました。
対象物も以前とは違った思いで目に映るような気がしています。
本や展覧会、あるいはホームページで、「あーいいな」と感じる絵に接すると、私なりにその心、技を盗もうとしています。このホームページに掲載するのは、そうした心、技を盗みながら少しずつ変化している自己流の絵ですが、しばし時間潰しをしていただければ幸いです。
なお、このホームページは東京での単身赴任時に開設致しましたが、開設して以来、感想を含め激励のメールを、多くの方々から頂いてまいりました。誠に有り難く、厚くお礼申し上げたいと思います。
今回、定年退職を機に活動の中心を山口県宇部市に移しました。これからは山口県を中心とした近辺の美しい自然を尋ねて歩きたいと思っています。
2004年11月12日
神徳 泰彦
展覧会、個展など
1、展覧会 7)、弟33回第一美術協会山口支部展(公募の部)(13年 下関市立美術館)
|
||||
2、個展
|
|
|||
3、ポスター
|
||||
4、出版物(CD付)
|
||||
5、表紙絵 九州文學 第七期 第30号(通巻553号) 2015夏号 「睡蓮」 九州文學 第七期 第35号(通巻558号) 2016秋号 「柿」 九州文學 第七期 第39号(通算562号) 2017秋号 「白い彼岸花」
|
水彩画は楽し (セメント協会発行セメント・コンクリート誌(セメント・コンクリート,No699,pp20〜21,2005)掲載随想) |
|
いささか爺臭くて恐縮だが、これがその時の息遣い、手の動き、体温、情感だというものがあれば、そんなものを残したいと常々思っていた。そんな思いを抱いているとき、たまたまテレビで、ある高名な水彩画家の「風景画を描く」という教育番組を見た。絵が描けるならこの思いをかなえるのにぴったりではないか。これが水彩画を始めたきっかけである。平成7年の7月から9月末までのたった3ヶ月の短い放映だったが、これに惹き付けられてしまった。それまでは絵というと、中世以降の重厚な油絵しか念頭になかったし、小中学生の頃の図画には「強制されている」という思いもあって、殆んど興味もなく好きでもなかった。そんなところに、なんとも手軽でありながら美しくて、無礼な言い方だが、なによりも素人っぽいところが良かった。
放映に触発されて始めてみたものの、まるで絵にならなかった。時間も掛かるし、ゴテゴテと汚らしいものが画用紙上に残るだけだった。とてもテレビで見たようなさらりとしたタッチと色彩の妙、鉛筆の線の美しさは出なかった。そうした絵にならない状況が続く中でも、ひとつのことに気付いた。それは、鉛筆と絵具と水で格闘している間、嫌なこと、悩み事を全く忘れて絵に没頭しているということだった。当時、ほとんどの企業が事業再編に着手せざるを得ない厳しい折、多くの部下を預かりながらの部署の運営は精神的にもきつく、何らかの自己防衛をしなければ身が持たないという状況にあった。月曜日になればまた現実と向かい合うわけだが、週末に絵を描くということが一時的にせよストレス開放に繋がっていた。広々とした自然の中にいるだけでも心は開放され癒され、美しいシーンを前にしてのスケッチは日常からの逃避でもあったが、今になって思うと、絵があったこともあの時を何とか乗り越えられたお陰のような気がしている。
ストレスを誤魔化すために続けていると、2、3年も経てばゴテゴテと汚らしいものの中にも時たま絵らしいものも出始めてきた。また、技術屋の端くれとしての分析癖も手伝って、水彩絵具、水、紙の習性も段々と飲み込め、絵具の水に溶解、懸濁する様子やそれらが紙という毛細管現象の場で移動したり、混ざり合ったり、乾燥したりの微妙な相互作用が色の変化や水彩画独特の滲みやぼかし模様を作り出していることも判り始めた。この相互作用をなんとか制御出来ないものかとも思い始めた。このあたりで漸く絵を描く楽しさが生まれてきたように思う。こうなると、楽しいから描くという好循環に繋がり、週末を出来る範囲であちこちに出掛け、絵に費やすようになった。
今は、絵を描くことをもの造りのひとつとして楽しんでいる。素晴らしい風景を前にして、その感動をいかに表現するかが正に創作のキーポイントで、構図、色彩、模様などを制御し工夫しながら、バランスを取っていく過程では時間を忘れる。通常目に映るものとは違う色を画用紙上に広げることはよく行う。また、対象とした実風景の横にある構造物も、感動を際立たせるために、画面上に移して絵の構成に利用したりもするし、その逆もする。
最近は書店に行くと水彩画に関する本を数多く見掛ける。また、インターネット上でも水彩画を主体にしたホームページも多い。いずれも個性豊かに描かれており、著者や作者の心や技を盗むには格好な教材となっている。
冒頭の残したいとの思いは何とかかなえられているのではなかろうか。今迄の作品を見返すとその時の自分を含めた周りの状況が甦ってくる。最近はストレスを感じることも殆んどなく、天気のいい日はせっせとスケッチに出掛け、作品がたまってくるとホームページの更新に精を出している。絵をやり始めて変わったなと思う事は、自然を見ての感受性であろうか。色彩が増幅されて映ってくるし、イメージするようになった気がする。また、学生の頃教科書で習った詩の一節が浮かんできたりする時もある。
さあ、明日も天気がよさそうだ。さて何処に行ってスケッチしようか。